世代を超えたバリ芸能の交流 その2

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この時に組まれた公演のプログラムは、非常に内容の濃いものであった。
2007年の8月26日、27日、28日、29日と連続した日程の全4回の公演で、各回ともに2つの楽団が競演するというもの。
参加する楽団は、全てがバリの芸能界では既に有名な楽団であった。

Mengenang Sang Guru

BOOK LAUNCH – Dari Peliatan Menggetarkan Dunia (by Guruh Soekarno Putra, Anak Agung Oka Dalem, Bulantrisna Djelantik)

また、楽団によるパフォーマンスのみでなく、会場には懐かしい当時の写真が展示され、このイベントを記念した書籍も出版された。
「プリアタン、世界を震わす(Dari Peliatan Menggetarkan Dunia)」というこの本は、グンカ翁とセンゴッグ女史の活動記録でもある。
グルー・スカルノ・プトラ氏、アナック・アグン・オカ・ダレム氏、ブラン・トリシュナ・ジェランティック女史がメインになって当時の様子や、プリアタンの芸能について書き、アルバータイン・エンダ、アリフ・ウィロポ、シティ・ラフマ(ジャカルタ・チーム)デワ・プトゥ・サンティカ、ガイ・リッターと、私 f (kadek ferry)が、バリ・チームとして編纂と編集作業を行った書籍である。

Mengenang Sang Guru
MENGENANG SANG GURU – Book of Program _ front & back cover (contents & design: f-studio 2007)

以下が、そのプログラムの一部である(当初の予定とは変更があり、実際に行われたものを記載)

Gunung Sari
グヌン・サリ プリアタン村のゴン・クビャール楽団のプログラム
– Tabuh Kapiraja
– Tari Pendet
– Tari Legong Lasem
– Tari Kebyar Duduk
– Tari Legong Bapang

Gunung Jati
グヌン・ジャティ プリアタン村テガス・カンギナンのスマル・プグリンガン楽団のプログラム
– Tabuh Gambang Kuta
– Tari Legong Kuntir
– Tari Legong Pelayon

Tirta Sari
ティルタ・サリ プリアタン村のスマル・プグリンガン楽団のプログラム
– Tabuh Sekar Gendot
– Tabuh Tirta Sari
– Tari Puspa Mekar
– Tari Lambang Sari
– Tari Legong Lasem Lengkap
– Tari Legong Semarandhana
– Tari Legong Untung Surapati (Legong Kreasi Baru)
Tari Legong Sri Sedana (Legong Kreasi Baru)
– Tari Legong Kuntul Putih

Genta Bhuana Sari (Sekaa Gong generasi penerus)
グンタ・ブアナ・サリ プリアタン村のゴン・クビャール楽団のプログラム
– Tabuh Kebar Susun
– Tari Sabungan Ayam
– Tari Teruna Jaya
– Tari Kebyar Terompong
– Tari Oleg Tamulilingan
Tari Legong Mintaraga (Legong Kreasi Baru)
– Tari Janger Kreasi Greget Sari
– Tari Gandrung Kesuma Sari

Mengenang Sang Guru
MENGENANG SANG GURU _ giant banner (design by f-studio)

これらプログラムの中で、いくつかの舞踊と楽曲は、とても長い歴史を持っている。
例えば「オレッグ・タムリリンガン(Oleg Tamulilingan)」は、マリオ(Mario)として知られているタバナンのイ・クトゥット・マリア( I Ketut Maria)と、同じくタバナンの作曲家イ・ワヤン・スクロ( I Wayan Sukra)によって1952年に創作された古い舞踊だが、現在でもバリ島内のいたるところで子供、青年そして大人の踊り手によって、様々なイベントで頻繁に踊られている息の長い作品だ。
偉大な作曲家と振付家の手によって、作品は命を吹き込まれ、現在に至るまでバリで愛され続けている。

今回、このムングナン・サン・グルが、他の数多くのイベントと異なった特殊な輝きを放つイベントとして名を残す事に成功したのは、これら愛され続ける古典舞踊がプログラムの中に多く選択されたから、という理由だけではなかった。
それぞれの演目が、バリ舞踊の世界で称賛をうける非常に有名な踊り手やマエストロ達によって踊られたことも要因であった。

マリオによってオレッグの最初の踊り手として選ばれた グスティ・アユ・ラカ(Gusti Ayu Raka)
グンカック・マンデラの息子であるアナック・アグン・グデ・バグース・マンデラ(Anak Agung Gde Bagus Mandera)
アユ・ブラントリシュナ・ジェランティック(Ayu Bulantrisna Djelantik)などなど
1950年代から1970年代にかけて舞台で活動していたマエストロ達は、現在でも踊りや音楽と関わり続け、舞台に立たないものの舞踊教室などを設立して、後継者の育成を行うというアクティブな活動を行っている。
そのマエストロ達が、率先してイベント内で踊っると宣言したのだ。

また、1980年代から活動して、現在も舞台に立っている世代も参加を表明。
彼らは今のプリアタン・スタイルを子供たちに教える世代である。

それだけではない。
現在のプリアタンで実際に舞台に立っている次世代を担う若手の音楽家と舞踊家も例外なく参加の意志を示したのだ。
彼らは、グンカック・マンデラとニアン・センゴッグの亡き後にプリアタンに生まれた若い世代だ。
もちろん直接指導を受けたことはないが、サン・グルの偉大さは両親や祖父母から伝え聞いている。
そして、彼らの師匠達は、みなサン・グルの直弟子であり、その魂には、しっかりとサン・グルの伝えたかった「プリアタン・スタイル」の血が流れているのだ。

こうやって「5世代にも渡るプリアタン・スタイルの継承者が一同に会して、師匠の為に踊り、演奏をする」という、かつてない大規模なイベントが行われることとなった。

Mengenang Sang Guru
Special Gifts for All Artists and Guests

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著者 : kadek ferry © f-studio
写真提供 : Doc. f-studio 2007
Thanks to Rodney Merrill