夫婦で参加したバパンサリ(日本)
の第二回バリ島公演練習の様子 2013年
静岡さん、広島さん、福岡さんという日本で離れた場所に住む三人が、
偶然同じ時期にバリ芸能を学び始め、偶然バリ島ウブドで会って意気投合!
帰国したら日本で一緒に公演しようね!と堅く誓ってバリ島を後にした。
先に帰った広島・静岡さんは日本で気の会うお笑い仲間を呼び、
2000年5月に静岡県沼津市の狩野川こいのぼりフェスティバル(の横の河川敷)で華麗なるデビュー。
翌月には福岡さんも参加し、静岡県と広島県を廻るツアー公演も成功させた。
広島さんの師匠から名づけて頂いた「花の架け橋」という意味のバパン・サリという名を引っさげて、
2001年に再度バリに渡り、第一回バリ島公演を華々しく行ったものの、その後、福岡さんがバリへ引っ越してしまった。
貧乏神の福岡さんが抜けたお陰でグループはその後、
広島さんと静岡さんの手によって順調にお笑いメンバーを増やし続ける事ができ、
現在では「とても把握できない人数(広島さん談)」の参加者を抱える、一大バリ芸能集団となっている。
普段は別の先生に習い、別の楽団に所属するバリ芸能家達が「バパンサリ公演」の名の元に
北海道から沖縄までの全国各地から続々と公演開催地に集結する。という、日本では特殊な形態を持つグループであるが、
その練習や公演は、賑やかな笑いが耐えず、楽しく幸せな時間となる。と参加者達は口々に語る。
2013年は元旦にバリ島プリアタン王宮で第二回バリ公演を行うなど、めざましい興隆を遂げ続けるグループだ。
ちなみに福岡さんは著者の私