糸島市 長糸小学校の大楠
福岡県内の、
とある小学校に凛と立つクスの古木
学校が出来た1870年代から
ずっとずっと子供達を見守り続けた
私も、その見守ってもらった子供の一人である
いつの日にか、このクスの木の下で
私が創った作品を踊らせて欲しいと
そう、木に語りかける
コンニチワ、 バリ島カラ来マシタ。 カデ ト、 真由美 デス。
福岡に来た私達夫婦が、寺院でバリ芸能を奉納したい。と最初に口にした時の反応はこうであった。
「バリ舞踊? あ~、爪つけて踊るやつやろ?」
「それに、奉納って、宗教が違うっちゃなかと?」
福岡市はアジアの玄関口と謳うが、その周辺地域にも該当するわけでは無さそうだ。
そうか、そうなんだ・・・まだマイノリティなのだな。
ではインドネシアの、そしてバリ芸能の認知度を上げていこうではないか!
こうして、この福岡・糸島の地での私達夫婦の奮戦が始まった。
2008年秋のことである。
長糸小・六年生対象の授業
バリ伝統芸能を地域の人に紹介したい。という話を聞き知った当時の区長さんと公民館長さんの働きで、
私の母校・長糸小学校でバリ文化についてカデ氏が授業をする機会を頂くことができた。
バリ島出発前に、ウブドのタガス村とバトゥアン村の小学生に協力を請い、学校生活や私生活を写真と映像で撮影。
それを使って、日本の小学生にインドネシアの小学生を紹介した。
制服が毎日変わる事、授業で伝統芸能を習う事など、日本の児童には驚きが多かったようだ。
もっと色々知ってもらうために、ガムラン楽器を教室に持ち込んで演奏してみたり、
バリ舞踊の衣装を着てもらったりという内容も盛り込んだ。
ケチャも体験してもらった。
一学年で13人。
私が在学していた当時も既に19人という少人数編成であったが、今は更に減り、数年前には分校が廃校になっていた。
そんな私の後輩達、人数が少ないお陰で生徒同士の繋がりが濃く、ケチャ体験の授業では、チームワークが、ばっちりであった。
後日、担任の先生より児童から託された手紙が届いた。
「将来はバリ島に行ってみたいです」
「カデ先生、またガムランの音が聞きたい」
これは私達にとって、嬉しい変化の始まりであった。
また、本物のガムランのオーケストラ演奏をこの子達に聞かせたい!という思いも持ち始めた。