Legong Sri Sedana (2007)
レゴン・スリ・スダナ舞踊 (プリアタン・スタイル・レゴンの創作舞踊)
グルー・スカルノ・プトラ(Karya Guruh Soekarno Putra)創作
2007年8月28日に、プリアタン村のプリ・アグン・プリアタン王宮アンチャック・サジに於いて行われた
ムングナン・サン・グルのイベントにて、初演された。
レゴン・スリ・スダナ舞踊は、3名の主要な踊り手によって踊られる舞踊である。
2名のレゴンが、それぞれ「スリ女神(Betari Sri)」と、「スダナ神(Betara Sedana)」になり、
残る1名は、チョンドンとして、それぞれの役割を踊る。
この3名以外にも、9名の踊り手が戦いのシーンで登場する。
ビドゥアンダ・クデワン(王の下僕として、王家の備品を運ぶ役。舞踊中ではお供え物が持たれる)
2007年8月に行われた「ムングナン・サン・グル(アナック・アグン・マンデラとグスティ・ニアン・センゴグへのトリビュート)については、こちら。
f (kadek ferry)が長期間かけて準備を手伝ったイベントで、編纂と編集を手伝ったこのイベントの書籍などについても書いているので、まだお読みで無い方は、是非御一読下さい。
レゴン・スリ・スダナ舞踊は、天からの恵みや、繁栄のシンボルとして信仰されている
スリ女神と、スダナ神の兄弟ついての話を描いてある。
二人は、天界からマルチャパダ(marcapada=地上)で生活する人間達へ、豊穣を授けるために降りてくると言われ、
バリ島では殊に主要な作物である、稲の神(女神)として、よく知られ、農民達に祀られている。
マス・グルー(スカルノ氏の愛称)の創作した、このレゴン・スリ・スダナ舞踊は、
約一時間という長時間の演目で、通常の古典レゴン舞踊と同じく
ププソン、プンガワ、プンゲチェ、プンギプ、そしてプカアッドというパートから構成されており、
その舞踊の型を守った整然とした作品を見て、観客は驚き、感激したのであった。
公演は、まず初めに、女性達によって伝統的なルスン(Lesung)という、臼に入った米を杵で搗く振り付けが行われ
懐かしいバリの古い文化を思い起こさせる。
そして、チョンドンの登場によって、観客を物語の世界へ誘う。
9名のビドゥアンダ・クデワンが、それぞれ手にお供え物を持って登場。
神を褒めたたえる「スリ・パクリン/スリ・スダナ(Sri Pakeling /Sri Sedana)」という神聖な雰囲気のメロディーの唄に誘われ
スリ女神と、スダナ神は地上へ降りて来る。
ティルタ・サリ楽団の演奏するガムラン、スマル・プグリンガンの音に合わせて、
ゆっくりと静かに神々の踊りが踊られる。
Legong Sri Sedana (2007)
この「スリ・パクリン/スリ・スダナ」の曲が、マス・グルーによって作曲される約一ヶ月前の事、
マス・グルーが、私 f (kadek ferry)に連絡をしてきた。
氏は、私にキーボードを持参するように言ってこられたのだ。
ガムラン楽器で踊るレゴン舞踊曲を作るのに、何故キーボードなのだろう?と多少訝しく思いながら、
夜の8時に、キーボードをバイクに載せて、氏の滞在先に向かった。
この時から、オカ・ダレム氏と私は、この曲が完成するまで、マス・グルーにずっと付き添うことになったのだ。
到着するとすぐに、氏は、シンプルなジャワの古典的なメロディーを唄ってみせ、私にそれを弾くように言った。
教えられた通りにそのメロディーを弾くと、氏は、それに合わせて唄いながら、踊り始めた。
それを、オカ・ダレム氏と一緒にメモを摂りながら、次の動きへ進めていく。
何回も、何回も、何回も。
踊りがきっちり決まるまで、同じメロディーを繰り返し弾き、繰り返し踊り・・・
マス・グルーが「これだ!」と思うまで、振り付けを考える作業が続いた。
静かなメロディーの、この曲は、弾けば弾くほど心が落ち着き、夜が更けるのも忘れていた。
気が付くと、朝の4時!
あの時は、本当に「驚いた!」の一言しか出ないくらいに、びっくりした事を覚えている。
驚くとともに、ここまで集中できるものかと、震えがきた。
マス・グルーは一つ一つの振り付けに意味を与え、曲に魂を吹き込んでいったようだ。
この作曲と舞踊創作の合間に、マス・グルーが、バリ芸能に関する経歴を私に語ってくれた。
60年代にアナック・アグン・マンデラ氏と知り合い、そのスタイルを探求した話。
偉大な師匠達イ・マデ・グリンデム(I Made Gerindem)、ニ・クトゥット・レネン(Ni Ketut Reneng)
イ・ニョマン・カクル(I Nyoman Kakul)、イ・ワヤン・ディヨ(I Wayan Diya)、そしてイ・ワヤン・リンディ(I Wayan Rindi).
ああ、ここでは書ききれないほどである。
公演に話を戻そう。
ビドゥアンダがお供え物を舞台上に残して退場すると、チョンドンが「どうぞ、お越しください (Memendak Nedunang)」 と言う意味の台詞を唄いながら登場する。
続いて、また9名の踊り手が、手に赤、白、黄色のトゥンパン(炊いた米を盛って三角に尖らせたもの)を
また、別の9名がバティック布や金糸布などを手にして現れてくる。
傘を持った人、旗を持った人、槍をもった人、高く積んだお供え物のグボガンを持った人など、バリの祭事に欠かせない、数々の品を手にした大勢の出演者が行列を作って舞台へ入ってくる。
そして、煌びやかな衣装を着て、独特の化粧を施したスリ女神と、スダナ神が、グンタ・ブアナ・サリ楽団の演奏するバラガンジュール「コドック・ンゴレック(Kodok Ngorek)」に導かれ、神輿に乗って登場。
この曲は、ジョグジャカルタの曲を意識して作られたメロディーを基に作られており、バリとは少し違う空気が会場を包んでいく。
ここまでが、舞踊の導入部。
女性達が、豊作を感謝しながら、楽しそうに米を搗きはじめる。
ここでガムラン演奏はティルタ・サリに交代し、レゴン舞踊が始まる。
Legong Sri Sedana
マス・グルーによれば、この作品は簡略版なのだそうだ。
レゴン・スリ・スダナは2007年の7月に作られたが、80年代頃からこういうレゴンを考えていたとのこと。
音楽は、既にある馴染みの曲なども、幾つか使われた。
例えばタナー・パスンダンの「Bubuy Bulan」が、チョンドンとレゴンに
ポップ曲の「Puspa Indah Taman Hati」は、プンガワの部分に
ブタウィ地方の民謡「Lenggang Kangkung」がプンギプッの部分にそれぞれ使われており、聴き心地の良い曲となっている。
これらの部分は、イ・ワヤン・ダルヨ氏(I Wayan Darya)も参加して、スマル・プグリンガンで演奏するのに最適なよう編曲が行われた。
振り付けは、グルー・スカルノ・プトラ氏によって直接作られたが、オカ・ダレム氏の協力のもと、
レゴン舞踊、ルジャン舞踊、ジャワ舞踊のブドヨ・スリンピや、ムラユのマックヨンといった舞踊からも、いくつかの動きが追加された。
また、スリウィジャヤ(マジャパヒト王国の古いマタラム)時代の仏教寺院のレリーフに彫られている踊り子の動きなども、数多く採り入れられている。
グル・スカルノ・プトラ氏、オカ・ダレム氏、踊り手たち(Condong and Biduanda Dancers)
レゴン・スリ・スダナ舞踊は、ほんとうに素敵な作品だ。
マス・グルーによれば、変わりつつある現代のバリ島が、これ以上自然や文化(芸能)を手放してしまわないように。という、願いも込めているそうだ。
「どんなに洗練された現代的な芸術であっても、それに精神的や道徳的な基盤がなければ、地に足が付いていない作品になる。
芸術とは、常に我々に崇高な人生の価値観について啓示してくれるものなのだ。」 グルー・スカルノ・プトラ 2007年
Merdeka!
kadek ferry ( f ) 、グルー・スカルノ・プトラ氏、mayumi inouye ( m )
MENGENANG SANG GURU, 2007 at Peliatan
Photo Doc. Mengenang Sang Guru 2007