ジョゲピンギタンを踊る故チュニック女史
通称:ダドン・チュニック(イブ・チュニック)
本名:Ni Ketut Cenik (ニ・クトゥット・チュニック)
バトゥアン村のプカンデランに、1925年に生まれた(1923年説もあり)舞踊家。
アルジョ舞踊を中心に踊り、現在ではジョゲッド・ピンギタン舞踊を伝承する数少ない踊り手でした。
同じくバトゥアン村の踊り手ジマット氏の母としても知られており、チュニックばあちゃん(ダドンはバリ語でおばあちゃん)と親しまれていました。
名前のチュニック(小さい)の通り、普段は可愛い小さいおばあちゃん(そして人間臭い)ですが、舞台の上では妖艶に変わるスゴさがありました。
1982年には文化功労者に贈られる、インドネシアのウィジャヤ・クスマ賞(Wijaya Kusuma Award)を受けている他、1986年ダルマ・クスマ・マディヤ賞(Dharma Kusuma Madia award)1988年ダルマ・クスマ賞などを贈られています。
2008年には日本での公演も果たしています。
「故チュニックさん」に書き直します。2010年7月、お亡くなりになりました。埋葬の儀式に参加してきましたが、真っ白い墓標にはジュプンの花が彫られており、誰かから供えられた綺麗な花のデコレーションが置かれ、質素ながらも華やかな儀式でした。
偶然、数日後に村の集団葬が行われる予定であったため、その時に火葬されることになっていましたが「墓場でプルティウィ神の為に奉納舞踊がしたい」という死の直前の言葉を家族が重んじて、埋葬のまま数年置くことになったそうです。今頃、踊っておられるんだろうな・・・