この度、 m (mayumi) は、クラッシック・スタイルのガルーダ舞踊を
直接マエストロから指導してもらう機会を与えられました。
舞踊のマエストロ「アユ・ブラントリシュナ・ジェランティック(Ayu Bulantrisna Djelantik)
=イブ・ブラン女史」からです。
m , Ibu Bulan, Gung Biang Raka
ジャワ島で活動をするバリ舞踊のグループ、ベンケル・アユ・ブラントリシュナ舞踊団(Sanggar Tari Bengkel Ayu Bulantrisna)のメンバーが、バリ島を訪れました。
彼女達の訪問の目的は、バリ島にいるマエストロ達から直接レゴン舞踊の指導を受けることでした。
このツアーの最終日、ガルーダ舞踊のワークショップがプリアタン村のバレルン・ステージで行われました。
ありがたい事に、 m は、イブ・ブラン女史から、この古いスタイルのガルーダ舞踊を学ぶようにと招待を受けたのでした。
ガルーダ舞踊は、レゴン・ラッセム舞踊で最後に出て来る凶兆の鳥の舞です。
イブ・ブラン女史のガルーダ舞踊の基本の型は、 m がこれまでに習ったものとは異なっていました。
肘の位置、頭の位置、特に、型が既に体に染みついていて、なかなか治せない「体の重心」の置き位置。 ガガーという言葉が良く似合う、激しいガルーダ舞踊でした。
古いガルーダ舞踊を学ぶ
m のプリアタン・スタイルの舞踊の先生であるグン・ビアン・ラカ(Gung Biang Raka)女史も、この会場に顔を出していました。
この日、プリアタン村からは、バレルン・ステージでレゴン舞踊を舞台で踊っている3名の子供がワークショップに呼ばれていました。
グン・ビアン・ラカ女史は、 m のすぐ横で、その自分の生徒に違いを教えていました。
m が「わ!違う!曲がる時にはキポックの動きを入れるんですね!」と言った瞬間
「何言ってるの!キポックは入れるものよ! m 、貴方、もう忘れたの?!」
横から怒鳴られました・・・そうでした。
グン・ビアン・ラカ女史と勉強をした時、ガルーダには、この動きが入っていたのを思い出しました。
最近、 m が目にしていた踊り子達の舞踊には入っていなかった気がするので、すっかり忘れたまま覚えていたのでした。
レゴン舞踊も手ほどきされた。イブ・ブラン女史の指導する舞踊ではボディ・ラインが古い絵画の様な強い曲線を作る
我々、学ぶ身である生徒達は、例え何年バリ舞踊を習っていても、師匠との練習を怠らないようにしないといけませんね・・・
マエストロや、自分の師匠から、その動きやスピリットを吸収し続けないと!!
師匠方、貴重な時間をありがとうございました!
A.A.Ayu Bulantrisna Djelantik
A.A.Ayu Bulantrisna Djelantik
プロフィール:ドクトル A.A.アユ・ブラントリシュナ・ジェランティック Ph.D
(Dr. A.A. Ayu Bulantrisna Djelantik, Ph.D)
1947年9月生まれ。祖父が王(カランガッセム王朝)であり、王宮内で舞踊を学ぶ。
イダ・バグース・ボンカサ(Ida Bagus Bongkasa)、イ・マリオ(I Mario)、イ・カクル(I Kakul)そして、プリアタン村のグスティ・マデ・センゴグ(Gusti Made Sengog)女史などに師事。1994年にベンケル・アユ・ブラントリシュナ舞踊団を結成、舞踊家としてでなく、舞踊教師としても活動を行う。
また本業の医師としてはWHOのコンサルタントの経歴がある。インドネシア記録博物館MURI(Museum Rekor Indonesia)より、2012年にレゴン舞踊伝承のマエストロして表彰されている。